2012/02/02

”第五福竜丸事件”とガイガーカウンター 続編~当時の話を聞いてみた

関連ワード:コラム , 第五福竜丸 , 突撃レポ ,
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「NNNドキュメント(ビキニ水爆実験、第五福竜丸)、ゴジラ、ガイガーカウンター」という当サイトの過去記事に、ある情報が寄せられました。丸文株式会社という企業が当時、ガイガーカウンターを日本で唯一取り扱っていたという情報です。

1954年 放射能測定器を国内で唯一当社が取扱い、マグロ漁船第五福竜丸事件で活躍

[ソース]丸文株式会社:会社案内|社会貢献活動

当時の日本におけるガイガーカウンターに関する情報なんて、ほとんどありませんから(たぶん)、これはとても興味深い事実です。そこで、具体的な質問事項を添えつつ、同社に”取材”を申し込んでみました。すると、同社から以下のような回答をお寄せ頂けました。以下は質問項目ごとにお答え頂いた内容を、その趣旨が変わらない範囲で私が編集したものです。

お問い合わせいただきましたガイガーカウンターの件ですが、当時担当しておりました社員は既に全員退職しております。また、ガイガーカウンター取り扱い自体もかなり前に取りやめているため、当時の状況を知る社員も居ない状況です。残念ながら取材のご希望には対応しかねます。お役にたてず申し訳ございません。

ご参考までに、古い資料より広報室でわかる部分のみお答えします。

1951年にラジオアイソトープを米国より輸入していたため、あわせてガイガーカウンターも取り扱うようになったようです。福竜丸事件がきっかけでガイガーカウンターを取り扱うようになったというわけではありません。

弊社の取り扱っていたガイガーカウンターが政府に採用されたかどうか記録はありません。当時、全国の研究所や大学にガイガーカウンターを納入していたようですので、政府の依頼を受けた研究機関が、弊社からガイガーカウンターを購入していたのではないでしょうか。

Atomic社、Nucllear Chicago社の代理店として同社のガイガーカウンターを各大学等に相当数販売していたようですが、正確な台数等は不明です。

当時丸文以外に取り扱っている商社はなく、国内には製造できる会社もなかったため事実上独占状態だったようです。

丸文株式会社 広報ご担当者様談

わからない部分も多々あるとはいえ、とても貴重なお話でした。具体的な機種名はいまだ不明ですが、Atomic社、Nucllear Chicago社というメーカー名がわかっただけでも前進です。後者に関しては調べればそこそこ情報が出てきそうです。前者がちょっと難しそうな感じもしています。「atomic」が一般名詞でもあるので検索しづらそうという(^^;

この件に関しては、引き続き調べていきたいと思います。

丁寧にご回答して下さった丸文株式会社の担当者様に、また、このような情報を当サイトにお寄せ頂いたqiakie様に改めて感謝を申し上げます。ありがとうございました。

[参照動画]
「そのとき歴史が動いた ”3000万の署名、大国を揺るがす ~第五福竜丸が伝えた核の恐怖~”」(NHK)



※当サイトはあくまでも”放射線測定器”に関するサイトですw
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コメント

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テン?

丸文さんに取材されたようですね。
機種が分からなかったのは残念。

そういえばと、福竜丸展示館で撮影したガイガーカウンターの
写真を見るとメーターパネルに

TEN
テン放射能サーベーメーター

と書かれていました。
ちょっと検索した位では出てきませんでしたが
ヒントになれば。

TEN

TENといえば、後の富士通TEN?当時半導体の製造プラント、電子管の製造部門があったはずなので、ひょっとするとすでに国産化が進んでいたのかもしれませんね。私もマツダ(後の東芝)製の雲母窓ガラス管を見たことがあります。このあたりの経緯は、生きている方があれば是非伺ってみたいところです。
Nucllear Chicago社の大型管は、震災以後手に入れましたが、非常に状態も良く、高計数率です。

TEN

なるほど、富士通TENですか。ちょっと調べてみると
第五福竜丸の1954年当時は神戸工業ですね。
TENはブランド名らしいです。

http://blog.goo.ne.jp/achikochitei/e/f2a64a95176173e6e47da623dae31c40

↑この会社案内の動画には出てきませんでしたが
↓こちらTENラヂヲに使われている真空管のロゴが

http://www.geocities.jp/radiomann/HomePageRadio/Radio_P51.html#TEN5M10

サーベイメーターのロゴと同じでした。ビンゴ!

http://twitpic.com/8eync3

Re: TEN

qiakie様
すごいw 動画に出てきた「G-10」というのが機種名で、メーカーは神戸工業(現富士通テン)と。これでほぼ確定でしょうか。具体的にどんなものだったか、もう少し調べてみます。ありがとうございました。

y.utsunomia様
Nucllear Chicagoの設立当初あたりからの話が調べてみると面白いですね。また、Model2612あたりは当時としてはとても洗練されたデザインで、そんなところにも惹かれますw
http://www.civildefensemuseum.com/southrad/nc-2612.html

各所で目にするコピペ

半導体研究のため転職1951年、私が勤めていた神戸工業は他社に先駆け、エレクトロニクス産業の雄である米RCA社と真空管を中心に技術提携しました。

20世紀初頭に発明された真空管は、通信に欠かせない装置でした。電子工学は真空管から始まったのです。RCAの設立は19年。真空管を使ったラジオやカラーテレビの商品化にいち早く成功し、世界最大級のエレクトロニクス企業に成長しました。しかし旧弊にとらわれ、先端情報技術や半導体開発に乗り遅れたため86年、GEに買収されました。神戸工業も一足早く同様に衰退の運命をたどりました。

半導体トランジスタが台頭した50年代中頃になっても伝統ある真空管技術が主流で、社業は衰えるばかりだっだのです。私は研究課にいた10人くらいの同僚たちとともに、会社の研究と開発のため若い力を最大限発揮しました。自社製トランジスタを使ったラジオの試作品を公開したのは54年1月で、東京通信工業の試作開始より約半年も早かったのです。

私白身は半導体研究者を名乗る資格を得た感じましたが、この会社にいても自分の成長は望めないと思いました。そのころ私が興味を持っていたのは、「p-n接合」というもっとも基本的な半導体素子です。これを徹底的に研究できる環境を求めていたところ、ある人を介して東京通信工業の研究部長だった岩間和夫さんを紹介されました。

東京通信工業は従業員400人程度で、活気に満ちたベンチャー企業でした。井深社長、専務の盛田さんとも面談し、神戸工業とはまったく対照的な印象を受けました。そして半導体技術も優れていました。技術面を支配するボスがいる気配もありません。転職を決意して退社を申し出ると、ひともんちゃくがおきました。直属の上司は暗黙の了解を与えてくれていたのですが、会社は私を辞めさせないというのです。技術のノウハウが他社に渡るのは困る、というのが理由でしょう。懲罰人事で研究課から営業課に異動させられました。

太平洋での核実験で54年に第五福竜丸が死の灰を浴びて以来、放射線を測るガイガーカウンターの需要が高まり、神戸工業の製品もよく売れていました。私は広島・呉港あたりの漁船まで機器を運ぴ、使用法を説明した覚えがあります。営業マンという役割は、私の人生のシナリオには書かれていません。しかし勝手に会社を移れば二重の雇用契約で訴えられる可能性もあったので、退職届を内容証明郵便で送り、神戸工業とは縁を切りました。規定の退職金8万円は、ついに支払われることがありませんでした。

江崎玲於奈 科学と技術


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