2014/03/25

ドイツガイガーの本流・GRAETZの歩み~GRAETZがRADOSにあらがえたワケ

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今回はドイツの放射線測定器メーカー・GRAETZ Strahlungsmesstechnikの歴史を見てみたいと思います。驚きの事実が満載です。

とその前に。

1948年より、米・英・仏の占領地域による通貨改革を皮切りに、経済・政治両面における分断国家形成の動きが見られ、ソ連側もベルリン封鎖で対抗するが、東西ドイツ分断は決定的となった。1949年9月のドイツ連邦共和国(西ドイツ)建国を受け、翌10月にドイツ民主共和国(東ドイツ)の建国が宣言された。

[ソース]wikipedia:ドイツ民主共和国

こんな時代の話だということをお知りおき頂いた上で、さて始めましょうか。

1866年、Albert GraetzとEmil Ehrichによって、ランプメーカー・Lampen-Fabrik Erich and Graetz OHG(Erich and Graetz Lamp Factory, Unlimited)が設立されます。1920年にはPetromaxというブランドが生み出されました。いまでもPetromaxはランプメーカー(ブランド)として有名です(現在は中国資本)。

第一次世界大戦が始まった頃、同社はさまざまな製品を製造し販売し出します。その中でも特に有名なのがラジオです。

1922年にEhrich und Graetz AGとなっていた社名が、1942年にGraetz AGと改称されます。技術革新が進む中、戦争による特需もあり、同社は繁栄を極めました。

ところが、第二次世界大戦でドイツはソビエトに占領され、同社は移転を余儀なくされます。1947年、西ドイツのAltena(アルテナ)へ移った同社はGraetz KGとして再建を図ります。

ソビエト占領下に残ったGraetz AGと新たに西で設立されたGraetz KGの行く末は、以下のサイトをご参照下さい。私たちは放射線測定器という観点から、Graetzを見ていきましょう。

1949年、AltenaでGRAETZ Strahlungsmesstechnik(英訳するとGRAETZ Radiation Metrology。以下、GRAETZ)が設立されます。同社は1961年、SELに、1988年、NOKIAに売却されます。そして、1990年、GRAETZは分離され、Herfurthに買収されました。

問題はここからです。私たちはとてつもない事実を目の当たりにします。

1993年、Herfurthが破産します。そして、Herfurthの放射線測定器部門はフィンランドの投資家に買収され、同部門がRADOS Technology GmbHとなるのです! 同時にフィンランドにもRADOS Technology Oyが設立されます。こちらにはWallacの流れを汲むAlnorも含まれます。もちろん、これらは後年、Mirion Technologiesへと発展します。

あまりの衝撃で、本筋から外れてしまいました。RADOSに関しては後日、改めて紹介します。話をGRAETZに戻しましょう。

Herfurthが破産したのち5年間、GRAETZは破産管理人の監視下に置かれていました。そんなGRAETZを同社のマネージャーであったUwe Rische氏とWinfried Fessen氏が買い戻し、現在に至ります。

Mirion Technologies (RADOS) GmbHのサイトにこんな図があります。

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[ソース]Mirion Technologies (RADOS) GmbH:FIRMENGESCHICHTE

RADOS側ももう少し詳しく書き替えたいところですが、GRAETZ側を丁寧に書くとこうなります。

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突然変異のごとくこの世に生まれてきた怪物・RADOS。GRAETZはHerfurthともどもRADOSに飲み込まれる寸前でした。しかし、GRAETZは持ちこたえます。そうできたのには、わけがあります。

Der Verkauf an die Hamburger Firma Herfurth war zunächst ein Segen, weil die GmbH damit von der Schließung der Graetz-Werke nicht betroffen war.

[ソース]Roland Loos:Kerngesund: Die Firma Graetz wird 60 Jahre alt

ドイツ語がわからないので、ちょっとニュアンスが掴みきれないのですが、おそらく、Herfurthに買収され、一時、GRAETZはその活動を一時、ストップさせていたのでしょう。少なくともGRAETZの事業規模はゼロに近しいほど小さかったはずです。だからこそ、GRAETZの生え抜きたちはGRAETZを買い戻せました。

前出のUwe Rische氏は、1993年あたりのことを振り返り、こう言います。

"Das war schon eine schwierige Entscheidung damals", erinnert sich Fessen. Heute ist er deutlich entspannter: Der Bau von Strahlungsmessgeräten sei eine Nische, in der sich Graetz gut behaupte.

[ソース]同上

これは1949年のことではなく、1993年当時のことでしょう。まさに”ニッチ”だったと。

しかし、私はこのコメントを字面通りには受け取れません。Uwe Rische氏の謙虚な人柄がこう言わせているだけだと思います。その証拠がこちら。歴代の主なGRAETZ製放射線測定器です。

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Graetz ZS Gamma 50

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左:X 50 B [ソース]Ausstellung militärischer Funkgeräte
右:X500[ソース]A Short Guide to Celestial Navigation

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左から、GPD100、X5 DE、X5 CEx

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ED150

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GammaTwin

なんと美しい! シンプルな中にも力強さが感じられます。コンパクトな中にすべてが詰め込まれています。ここにはドイツの職人の魂がありありと見てとれます。

ニッチだった? いやいや。製品を見ればわかります。あんたたち、そんなヤワじゃないだろう。

「俺たちのGRAETZを取り戻せ!」

そんな機運があったはず。Herfurthのもと、煮え切らない思いでいた誇り高き職人たちは、熱い魂を忘れてはいなかった。だからこそ、GRAETZはRADOSにあらがえました。GRAETZの製品にかけるプライドが、愛が、同社を守ったのです。

幾度となく、当サイトではGRAETZを称えてきました。えも言われぬ魅力が同社製品にはあるからです。しかし、こうして同社の歴史がわかると、その魅力の根拠が見えてくるような気がします。と同時に、臆面もなく「うん、オレの目は正しかった」と呟きたくもなるのですw やっぱ、すごいんじゃんと。

さて、ここ数ヶ月、ずっと調べていることがありまして、ようやく点と点がつながり始めました。あともう少し。

[参考サイト]
Roland Loos:Kerngesund: Die Firma Graetz wird 60 Jahre alt
STUGA-CABAÑA:A History of the Petromax Lantern and the Graetz Family
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